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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)2138号 判決

控訴人 佐藤清一郎

右訴訟代理人弁護士 戸田誠意

被控訴人 田中修一

右訴訟代理人弁護士 栗田恒三郎

主文

一、原判決中被控訴人の勝訴部分を取消す。

二、被控訴人は控訴人に対し金七〇万円及之に対する昭和三六年八月六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。

三、控訴人の予備的請求中前項以外の部分及び主たる請求は之を棄却する。

四、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫を総合すると、本件約束手形(甲第一号証)は当時東邦工業株式会社の代表取締役であつた本間喜一が同手形の振出人欄にその振出人として同会社代表取締役田中修一及び被控訴人田中修一個人の各記名押印をなした上振出したものであることが認められる。被控訴人は右振出は代理権限なくしてなされた偽造のもので無効であると主張するので按ずるに、前顕各証拠によると、東邦工業株式会社は訴外高橋工業株式会社の製品の販売を主たる目的として設立された会社であつて、被控訴人は従来昵懇な間柄にあつた右高橋工業の社長高橋角蔵からただ名義だけを貸してくれと懇望せられてこれを承諾し代表取締役となり且つその登記をも経由し社長の地位についたものであるが、会社の運営の全権は右高橋角蔵が掌握しており、被控訴人は週一日程度名目的に出社はしていたものの会社の経営管理には一切関与することなく、専ら同じく代表取締役(但し共同代表ではなく、各自代表である甲第五号証参照)である本間喜一にその業務処理の一切を委ねていたこと、東邦工業株式会社においては従来本間喜一ないし同人の指示によりその部下職員が、被控訴人名義の記名印および訴外会社社長名義或は被控訴人個人名義の印章を用いて右訴外会社社長名義で手形、小切手等を振出したことは屡々あつたけれども被控訴人の個人名義で手形を振出したのは本件手形がはじめてであつたこと、しかし乍らこれまで被控訴人は訴外会社に対し右被控訴人個人名義の印章を作成使用することを許諾したことは明示的にも又黙示的にもなかつたこと、が認められるので、以上の事実関係に徴すると被控訴人は本間喜一に対し会社業務遂行としてなすべき手形、小切手等の振出行為につき、代表取締役社長としての被控訴人名義を用いその記名、押印を代行せしめていたことは之を認め得るが、この限界を超えて被控訴人個人の名義を用いて斯る行為をなすことまでも許諾していたことは到底認めることができない。しかして会社の代表取締役たることを承認しその資格に於て会社のため手形振出をなすことを他の代表者又は職員に代行させること自体は当該代表取締役の個人としての資格に於ける手形振出の代行を含まないのみならず、本件に於いて被控訴人が代表取締役たることを承認した際又は其後に於いて被控訴人が会社の債務について個人としてこれを負担し又は保証すべき特段の事情があつたものとも認め得ない。

以上の通りであるから本件約束手形(甲第一号証)のうち被控訴人個人名義の振出部分は本間喜一が代理権なくして擅に偽造したものというべきであるから無効というほかはない。

二、そこで予備的請求原因について判断する。

先づ被控訴代理人は、新たな主張は商法第二六六条の三の規定に基く損害賠償の請求であつて従来の手形上の請求とはその基礎を異にするから訴の変更は許されない旨主張する。

然し右請求はいずれも本件約束手形が振出され且つ控訴人が之を取得した事実関係を基礎として、一はその手形上の権利を主張して手形金の支払を求めるものであり、他は右手形振出が無効である場合に備え、手形金が詐取されたこと乃至は当該手形の取立が不能による損害の賠償として商法第二六六条ノ三により手形金相当の損害金の支払を求めるものであるからその請求の基礎を同じくするものというべく、かつ右訴の変更を認めても殆んど訴訟手続を遅滞せしめるとは認め得ないから右訴の変更は許容さるべきものである。

よつて進んで本案につき按ずるに、前段認定のとおり被控訴人は訴外会社の代表取締役社長に就任すること自体についてはこれを承諾し且つその登記を経ていたものであるから事実上同会社の運営には一切関与しない諒解があり且つ事実上関与していなかつたとはいえ第三者に対してはその内部関係を主張して代表者として責任を免れることは許されない。そうして代表取締役たる者は会社に対し善良なる管理者の注意をもつて会社の業務の執行にあたるべく、他の取締役の業務の執行行為についても注意を怠らず、職務違反の不当な事務処理はこれを未然に防止して会社の利益をはかるべき義務を負つているから、前認定のごとく被控訴人が業務の執行一切を他の代表取締役本間喜一に委ね而も自らは何等これを顧みなかつたことは代表取締役としてその職務を行うについて重大な過失があつたと謂うべきである。

しかして原審に於ける証人本間喜一、石井久夫の供述、原審竝に当審に於ける控訴本人尋問の結果、右石井証人の供述により真正に成立したと認める甲第二号証の約束手形(金額七〇万円振出人高橋工業株式会社、受取人東邦工業株式会社、振出日昭和三六年四月二五日、支払期日同年七月三一日)竝に右本間証人の供述により真正に成立したと認める甲第四号証(七〇万円受領証)の記載を総合すれば、控訴人は東邦工業より金融仲介業者を通して右甲第二号証約束手形の割引を依頼されたので振出人たる高橋工業についてその振出の誤りなきことと商品代支払のための手形であることを確めると共に、もし受取人たる東邦工業に於て保証のために同会社振出にして且つその代表者の個人保証のある同額の約束手形を差入れるならば右甲第二号証の割引に応ずべき旨を答えたところ、右東邦工業の代表取締役たる本間喜一はこれに応じて前段認定の如く被控訴人個人を共同振出人とする本件手形を作成して甲第二号証手形と共にこれを控訴人に交付したので同人は本件手形の共同振出人たる被控訴人個人の署名捺印が真正なもので同人が個人として振出人の責任を負担するものと誤信して昭和三六年五月二日金七十万円の割引金を仲介者を通じて本間喜一に交付したこと竝に右割引は本間が自己が代表する東邦工業の資金調達のために為したこと及び高橋工業株式会社、東邦工業株式会社は何れも上場株の会社ではなく所謂町場の会社であつて、斯る会社の振出手形を割引する際は金融業者である控訴人等は割引手形を保証する意味で割引を求める者が会社である場合は当該会社の代表者にも個人保証を為さしめるのが通例であり本件の場合も控訴人は此の慣例に従つて前示要求をしたもので若し被控訴人個人の振出人としての署名捺印が無効であるならば割引に応じなかつた関係に在つたことを認めるに十分である。従つて本間喜一は東邦工業株式会社の代表者として割引名義の下に前示七〇万円を詐取したと認むべきであり、本間は会社の代表者として会社の融資を得るため右の詐取をしたのであるから控訴人は本間の代表する東邦工業に対して不法行為による損害賠償請求権を取得したと謂うべきである。そしてもし右本間と共に右会社の代表取締役であつた被控訴人に於いて代表取締役として忠実に会社の業務を遂行していたならば右の如き事態を未然に防ぎ得た筈であるところ、被控訴人は代表取締役として就任しその登記を経たに止まり実質上は殆んど取締役としての職務の遂行を為さず、これを他の代表取締役である本間喜一に一任していたのであつて会社に対する任務懈怠につき重大な過失あることは既に認定した通りである。従つて被控訴人は商法二六六条ノ三第一項により代表者たる本間喜一により東邦工業株式会社が被控訴人から詐取した前記七〇万円及び之に対し右詐取の日の後である昭和三六年八月六日以降完済迄民法所定の年五分の割合による損害金を控訴人に対して支払うべき義務ありと謂うべきである。

従つて此の範囲に於いて予備的請求は理由あるから之を認容すべく其余の部分竝に主たる請求全部は失当として棄却すべきである。

仍て民訴法三八六条、九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木忠一 裁判官 谷口茂栄 裁判官土井俊文は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 鈴木忠一)

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